怖い映画、、
それがキャッチコピーであった場合、中途半端な怖さは逆に評判を落とすことになります。
アプリも、、キャッチコピーに忠実である必要があると感じています。
完成度が低いのなら兎も角、、変に気を使って路線変更するよりは突き進んだ方が良いと思っています。
やりすぎ、、それは結構なことです。
世の中には、想像を超えた知覚を持つ人がいる訳です。
勿論、一般の人向けに作り込む必要はありますが、、、
ゲームで言う難易度設定がアプリで出来るなら、アプリ製作者が想定する範疇外の難易度も作るべきです。
昔のゲームの話しか論ずることが出来ませんが、2Dのゲームしか、、
こと、シューティングゲームで言えば、、90年代に入る前のゲームで言えば、、
「力」対「量」の戦いだったりします。
ハードウェアが貧弱で、自機の攻撃は派手には出来ても、、
敵には複雑なアルゴリズムを持たせることは無かったんです。
まあ、例外というのは何処の世界にもありますので、一般論として聞いてください。
強力な攻撃力を持つ時期に、単純なアルゴリズムの敵が特攻していく、、まあ、こういう図式になるわけです。
お金を掛けた真剣勝負、、、アーケードゲームは、、
ゲーム側はお客さんが納得せざるを得ない、理不尽で無い方法で殺しにかかり、ゲーマーは殺されまいともがく訳です。
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パターンゲームというものがあります、そのパターンを暗記したら終わらなくなるゲームです。
ある意味、パターンが知れ渡ったら、見た目の難易度なんて意味を為しません。
理不尽な殺し方をしなければ、魅力的なゲームであれば、、
多少バランスが崩れていようとも付いて来る方はいる訳です。
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ゲーム開発者が自分には無理という難易度で作っても、若者は反射神経と記憶力を駆使して挑んでくる訳です。
自分基準で、難しいレベルでは足りない場合もある訳です。
そして、難しいをキャッチコピーにしているなら、突き詰めないと、、それが今の私の考えです。
何かに特化しているのなら、それが評価されないのなら、、
更に特化するというのも1つの手じゃないかな?